8月9日2008年08月09日 04時52分41秒

長崎も広島も原爆が落ちる事は無かった。

これが結論です。



以下に、迫水久常氏の著書「機関銃下の首相官邸」からその概略を書きます。
迫水氏は終戦時に今の政府で言う「内閣官房長官」をされていた方です。

昭和20年4月5日に鈴木貫太郎男爵に組閣の大命が下った。

昭和天皇の意思は速やかに戦争を終結する事。

陸軍大臣に阿南惟幾、海軍大臣に米内光政、外務大臣に東郷茂徳を擁し、戦争終結に奔走するが、日本陸軍からの圧力で、終戦が遅れた。

特に(一部)陸軍憲兵の行動は異常だった。
和平工作をしていた廣田弘毅を事情聴取したり、終戦の仲立ちを頼んでいた駐日ソ連大使を勝手に訪ねる等という振る舞いをした。
和平を口にしたり、戦争を悲観的に見たものは直ちに逮捕した。
吉田茂氏(戦後の日本を立て直した首相)も逮捕された。

又、無条件降伏を迫ったポツダム宣言は軍に対する無条件であって日本国に対する無条件降伏では無かった。
ドイツの場合は国に対する無条件降伏だった。

と、書かれています。


軍(一部憲兵)の邪魔が無ければ、8月6日以前に、このポツダム宣言を受け入れる時間は十分有ったようです。



終戦が早ければ原爆は間にあいませんから、長崎も広島も原爆が落ちる事は無かったわけです。

終戦が遅れた為、長崎、広島に限らず、失われた生命は数十万ではすまないでしょう。

4ヶ月も終戦を遅らせ、数十万以上の命を失ったことが「戦犯」です。




昭和になるまで軍の暴挙は無かったようです。

この原因をきちんと自分達で究明しなければ、又、同じ事が起きます。

「軍隊」という問題では有りません。

事実を直視しなければ、「世の中が間違った方向に進む」という事です。

それが出来ないから、長崎、広島の悲劇が生まれた事実を知るべきです。

「原因のすり替え」をしないようにしたいものです。

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