日本軍の綱紀2008年08月11日 04時25分39秒

シナ事変における日本軍の綱紀は乱れきっていたようです。

これを正す目的で「死して虜囚の辱めを受けず」を使ったという意見も有りますが、多分違うでしょう。


父は衛生兵をやっていた事が有るそうです。
その時の事です。

同じ隊の兵士が右下腹部に激痛を訴えたので、野戦病院の軍医の所に連れて行ったそうです。

「盲腸みたいですが」と父が言ったとたん、
「ばかやろう、お前らに何が分かる、只の腹痛だ」

翌日、この兵士は腹膜炎を起こし死んだそうです。


当時は、日本軍が勝っていましたので医療品等の補給は十分あり、その野戦病院で盲腸の手術は十分出来たそうです。


この話だけですと、ただ、「この軍医が悪い」になります。

ところが、当時(昭和13~14年)だと、盲腸の手術が出来ない軍医が居てもおかしく有りません。

ですが、この軍医は「只の腹痛」で済ませて、何も処置はしていません。
「俺は手術が出来ん、あちらの軍医に頼め」と言って、その搬送中に亡くなったのなら、当時の医学の限界で仕方ないかもしれません。


敗走中でも戦闘中でもないのに死んだのですから、事実関係を明らかにする義務が部隊長にはあるはずです。
しかし、この結果に対し、軍医は事情聴取も処分も受けていないそうです。


問題の本質は此処に有ります。

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